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[parcel] Comfortable hole, bye | リラ・デ・マガリャエス | 土屋 麗


  • PARCEL Nihonbashibakurocho 2-2-1 Chuo City, Tōkyō-to, 103-0002 Japan (map)

2023/5/20 ~ 2023/6/18

Comfortable hole, bye

Lila de Magalhaes | リラ・デ・マガリャエス
Urara Tsuchiya | 土屋 麗

at: parcel
東京都中央区日本橋馬喰町 2-2-14 まるかビル2階
Maruka bldg 2F, 2-2-14 Nihonbashi-Bakurocho, Chuo-ku, Tokyo

Open :
Wed-Sun 14:00-19:00
--
Closed : Mon, Tue


parcel では7月1日より、リラ・デ・マガリャエスと土屋麗による二人展 ”Comfortable hole, bye”を開催致します。

リラ・デ・マガリャエスはロサンゼルスを拠点としながら、繊細な刺繍表現を使ったテキスタイルの絵画作品を中心に、陶芸、ウール、ビデオなどを通して、幻想的かつ遊び心のある作品を制作しています。また、土屋はグラスゴーを拠点に、明快なモチーフを用いたユーモアラスな陶芸作品やビデオ、パフォーマンス作品など精力的に発表を行ってきました。グラスゴーのアートスクールで親交を深め、昨年メキシコのレジデンスで再会し、2人にとって念願であった初となる2人展を東京で開催いたします。活動拠点や手法、作風は異なりますが、「色気のある歓喜」と形容されるように、それぞれの作品には生への歓喜、欲望、ファンタジックな遊び心が現れています。この機会にぜひご高覧ください。

社会的なルールが破られる瞬間というのは常に存在します。皮肉めいたやりとりが突然怒りの火花を散らす瞬間。オチまでの長々とした展開と期待感が恥ずかしさへと溶けていく瞬間。最初に抱いた嫌悪感が倒錯した好奇心へと変わる瞬間。起こった瞬間に正確に捉えることはできませんが、一度この閾を超えると、なかったことにはできないのです。予想された行為が受け入れられなくなり、規範がタブーに滑り込む瞬間とは、具体的に何が起こっているのでしょうか。もしかしたら、それは私たちが衝動的な決断を下した結果か、それどころか全く決断しないことを選んだ結果かもしれません。社会的なエントロピーに身を任せることで、正統性の重荷から解放されるのです。時にはその壊れた状態に留まることがとても気持ちいいものなのです。

この展覧会は、このような瞬間に泳ぎ込んでは出て行き、不安の戦慄とゆっくりとした解放感を持ちながら、行動の論理の境界を求め、浸透させています。陶器のオブジェやテキスタイルの作品の数々は、常に平凡と非凡の線引きの間を行き来し、その境界線を陶酔的で夢幻的な熱狂で軽々と超えていくのです。

Shipwreck, 2023, Glazed ceramic, Urara Tsuchiya

土屋の光沢のあるパステルカラーの器からは、一種の色気のある歓喜が溢れ出していて、そこには裸の人物がプールや水路を流れ、非常に可愛らしい動物たちと無邪気に触れ合っています。アザラシ、イルカ、犬、豚、カワウソ、クマ、そしてお互いの間に姿を寄せ合っているのです。これは恋人同士の行動なのか友人同士の振る舞いなのか、どちらにカテゴライズしたとしても同じくらいに不条理に感じ、これら特定の組み合わせにおける不器用で肉感的な一体感を説明するにはあまりにも過剰であり、それでいて足りないと感じます。ただし、すべての存在に対し愛情が均等に分配されているわけではありません。一例として、ある女性の姿がグループから離れて、目の高さで手に持っているデバイスを見つめています。彼女は満足しているようですが、彼女の孤立した姿は私たちに警戒心を抱かせます… 「ORGY中に自撮りをするような女子にはなるな!」と。世界はあなたを中心に回っていないと言われるかもしれませんが、この純粋な快楽追求の瞬間には本当にそう感じることができるのです。

Beginner(3), 2022,Dyed fabric, silk, and thread, Lila de Magalhaes / Courtesy of the artist and Deli Gallery, New York, Mexico City

デ・マガリャエスの血のような赤い板には、女性とミミズの間である種の小さなドラマが繰り広げられています。大多数の動物よりも、ミミズは地上の存在を自然体で象徴する傾向があります。彼らのシンプルで節々のある生体構造は、機能と感覚だけで、人間のような心配や疑念、自己否定の試みは一切ありません。でも、ここではその無気力さはまったくの逆です。これらのミミズも人間を象徴しているのです…圧迫感に悩まされ、閉所恐怖症で抑制されています。私たちは覗き役として異種間の不安を抱えた家庭(ドラマ)の瞬間に立ち会ってしまうのですが、そこから簡単に逃れることはできません。いくつかのテキスタイル作品がそれに対するある種の解毒剤を提供しています。柔らかく輝く穴で貫かれ、絹の層の奥には染められた綿のベッドシーツが現れます。ミミズのような曲線と波紋が再び現れますが、今度はそれらが一番柔らかくて暖かいゼリーの中に抱かれています。女性が横になっていると、羽を持つ生き物が彼女の口からミミズを抜き出しています。ミミズは彼女の中にいて、彼女と彼らは一体化しています。これによって、私たちはいつもミミズが感じているものを少し垣間見ることができます。周囲と一体化する至高感、自分の中に、自分の上に、自分の外にある基質に浸ることの快適さと自由さ、すべてが一度にある感覚です。

この展覧会の作品の中には、罪悪感なしに堪能できてしまう誘惑がたくさんあります。人間と動物、さらには自然の力との関係が、それぞれのスピードで、独自のルールに従って広がっています。これらの親和性について考えると、どんな存在のスタイルもまったく不自然とは言えません。それはしばしば自然そのものではなく、社会的に受け入れられるとされてきたもの、つまり定石とされてきたものとの対比で定義されています。しかし、この展覧会が証明するように、地球上での創造性は、私たちが作り上げた社会的な規範を無数の方法で覆すことができるのです。そして、それらの規範が破られるとき、私たちはそれを修正しようと急ぐ必要はありません。

文:Jeanne Dreskin | ジーン・ドレスキン

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